名誉勲章受章者-S-
氏名 |
受賞時階級 |
受賞年 |
戦地 |
ピーター・スチュワート |
一等軍曹 |
1900 |
中国 |
フレッド・W・ストックハム |
一等軍曹 |
1918 |
フランス |
エドワード・サリバン |
兵 |
1898 |
キューバ |
クレランス・E・サットン | 軍曹 |
1900 |
中国(天津) |
ジェームズ・E・スウェット |
中尉 |
1943 |
ソロモン諸島 |
受賞者S-2 |
ピーター・スチュワート一等軍曹
1900年:中国
海軍分遣隊55号
1858年2月17日 | スコットランド エアデリーで生まれる |
感状:
1900年6月13日、20日、21日の戦いの間、中国において連合軍部隊の救援遠征隊に所属した戦いにおいて。
この期間を通じ、そして敵の面前においてスチュワートは賞賛に値する行為によって彼自身を際立たせた。
フレッド・W・ストックハム一等軍曹
1918年:フランス
第6海兵連隊第2大隊第96中隊
1881年3月16日 | ミシガン州デトロイトで生まれる |
1903年7月16日 | 海兵隊入隊 |
1903年10月 | フィリピン(-1905/8) |
1905年9月 | 上海(-1906/9) |
1907年7月 | 退役して消防士に復帰 |
1912年5月31日 | 再志願 |
1912年9月 | ニカラグア(-1915/11) |
1917年9月 | 第6海兵連隊第2大隊第96中隊 |
1918年6月18日 | 戦死 |
1943年6月 | 駆逐艦USSストックハム進水 |
感状:
合衆国海兵隊第6海兵連隊第2大隊第96中隊一等軍曹フレッド・W・ストックハムは1918年6月13日-14日の夜、フランス、ベロー・デ・ボイス内の敵への戦闘において義務の要求を遙かに超えて際立った勇気と大胆さを表した。
中隊の多くの隊員を負傷させるか、殺害した高性能爆薬と毒ガス弾の激しい敵の砲撃の間にストックハム軍曹は負傷した戦友のガスマスクが撃たれて消えたことに気付くや否や、躊躇うことなく彼自身のガスマスクを外し、そして彼自身にとって致命的な結果となることを知りながら、負傷した部下へ与えることを強く主張した。
彼はガスマスクの保護がなかったにもかかわらず、数日後にその結果として死に瀕するガスの効果で彼自身が倒れるまで彼は怯むことなく勇敢にそして大胆に激しい野砲の砲撃による掃射とガスを浴びた地域内から負傷者の避難を支援と指揮を続けた。
彼の勇敢な行為は疑いなく彼の負傷した戦友たち多数の生命を救い、そして彼の際立つ勇敢的行為と自己犠牲の精神は彼とともに従事した全員に偉大な感動の源となった。
エドワード・サリバン兵
1898年:キューバ
海軍分遣隊521号
1870年5月16日 | アイルランド コークで生まれる |
1896年7月23日 | 海兵隊入隊 |
1899年7月7日 | 名誉勲章 |
1901年11月16日 | 脱走 |
1955年5月11日 | 死去 |
感状:
1898年5月11日、キューバ、シエンフエゴスから引かれたケーブルを切断する任務中、USSマーブルヘッドに乗船していた。
敵の激しい銃撃に直面し、サリヴァンはこの戦いを通じて驚くべき勇気と冷静さを示した。
クレランス・E・サットン軍曹
1900年:中国(天津)
海軍分遣隊55号
1871年2月18日 | バージニア州ミドルセックス郡 |
感状:
1900年7月13日、中国天津近郊の戦いの間の行為において。
敵からの激しい銃撃下にもかかわらず、サットンは戦場から負傷した将校を運ぶことを支援した。
ジェームズ・E・スウェット中尉
1943年:ソロモン諸島
第221海兵戦闘航空隊
1920年6月15日 | ワシントン州シアトルで生まれる |
1941年8月26日 | 海軍予備役 |
1942年4月1日 | 海兵隊予備役少尉 |
1943年 | ソロモン諸島の功績により名誉勲章 |
1945年 | 硫黄島及び沖縄 |
1945年11月 | 海兵隊予備役大佐 |
2009年1月18日 | 死去 |
感状:
1943年4月7日、ソロモン諸島地域における敵日本軍航空部隊に対する戦闘において211海兵戦闘航空隊の編隊長として義務の要求を遙かに超えて彼の生命の危険を冒す際立った勇気と大胆さによる。
150機の日本軍機の波を迎撃するための飛行中においてスウェット中尉は15機の敵爆撃機の編隊に対する戦闘において彼の4機の編隊で躊躇うことなく飛びかかり、そして正確で致命的な銃撃で中空において彼の急降下の間に彼自身で3機の敵航空機を爆破させた・
対空放火の激しい集中を避ける間に彼の編隊から分離されたにもかかわらず、彼は大胆に6機の敵爆撃機を攻撃し、順番に最初の4機と交戦し、そして助けなしにそれらを撃ち、燃え上がらせて落とした。
5機目の日本軍爆撃に彼のエンジンは部分的な損害を受け、風防は粉々になり、そして彼の顔を切り裂く激しい反抗に対して彼の弾薬が使い果たされるまで、彼の攻撃を彼は情け容赦なく打ち込んだ。
これにもかかわらず、彼はツラギから離れ、それ以上の損害もなく水面へ巧みな正確さで彼の叩き壊された航空機を降下させた。
一度の飛行で敵爆撃機7機を破壊することをスウェット中尉に可能にさせた素晴らしい航空士精神と不屈の闘争心は合衆国海軍職務の崇高な伝統を維持した。
フランクリン・D・ルーズベルト
受賞者S-2 |