名誉勲章受章者-E-
氏名 |
受賞時階級 |
受賞年 |
戦地 |
メリット・A・エドソン |
大佐 |
1942 |
ガダルカナル |
ヘンリー・T・エルロッド |
大尉 |
1941 |
ウェーク島 |
ハロルド・G・エッパーソン |
一等兵 |
1944 |
サイパン |
受賞者D-2 |
メリット・A・エドソン大佐
1942年:ガダルカナル
第1強襲大隊長
1897年4月25日 | バーモント州ラットランドで生まれる |
1916年6月27日 | バーモント州兵連隊入隊 |
1917年6月26日 | 海兵隊予備役入隊 |
1917年10月9日 | 海兵隊入隊 |
1922年 | パイロット資格章取得(1927年資格破棄) |
1928年2月 | ニカラグア派遣 |
1930年 | 海兵隊ライフル及びピストル射撃競技チームのキャプテン |
1933年 | 海兵隊国内ライフル及びピストル射撃競技チームのキャプテン(-1936年。1935年及び1936年度優勝チーム) |
1937年 | 第4海兵連隊作戦参謀として上海勤務(-1939年) |
1941年6月 | 第5海兵連隊第1大隊長 |
1942年1月 | 第1強襲大隊長(レイダース) |
1942年9月13日 -9月14日 |
ルンガの丘(ムカデ高地。血塗られた丘、エドソンリッジ)の防衛戦により名誉勲章 |
1943年8月 | 第2海兵師団参謀長 |
1943年12月1日 | 第2海兵師団副師団長 |
1944年10月 | 太平洋艦隊海兵隊軍(FMF)参謀長 |
1947年8月1日 | 少将にて退役 |
1951年7月 | 全米ライフル協会専務取締役 |
1955年8月14日 | 自宅ガレージで一酸化炭素により自殺 |
感状:
1942年9月13日から14日の夜間、ソロモン諸島内の敵日本軍部隊に対する戦闘中に、第1空挺大隊を指揮下においた第1強襲大隊の指揮官としての義務の要求を遙かに超えた際立った勇敢と大胆さによる。
ガダルカナルの飛行場を8月8日に敵から奪取した後、エドソン大佐は800人の部隊とともに空港のどちらの側でもジャングルを威圧できる丘の占有と防衛を割り当てられた。
手に負えない日本軍の攻撃に直面し、浸透が増大し、我々の最前線を突き進むと、彼は熟練した操作によって彼の部隊を少数の死傷者のいる予備防衛線まで彼の前衛部隊を首尾良く後退させた。
敵が引き続き、激しい襲撃を行い、銃剣、ライフル、拳銃、手榴弾そしてナイフによる向こう見ずの白兵戦によって我々の部隊と交戦したとき、エドソン大佐は夜の間ずっと敵銃火にさらされたが、非常に優勢な狂信的な敵に対する予備拠点の防衛を自ら導いた。
義務に対する彼の機敏なリーダーシップと勇敢な献身によって、彼は彼の部下が、深刻な損失にもかかわらず、周辺地域における攻撃側の侵入に関してせき止める命令をし、ガダルカナル飛行場ばかりではなく、第1師団全体の保持に極めて重要な丘上の彼らの拠点を固守することを可能にした。
フランクリン・D・ルーズベルト
ヘンリー・T・エルロッド大尉
1941年:ウェーク島
第211海兵戦闘航空隊
1905年9月27日 | ジョージア州ターナーで生まれる |
1927年12月 | 海兵隊に入隊 |
1941年12月12日 | ウェーク島にて、22機の敵機に単機挑み2機撃墜 日本軍駆逐艦一隻撃沈 |
1941年12月23日 | 戦死 |
感状:
1941年12月8日から23日にかけて、ウェーク島における地上及び航空部隊による敵日本軍上陸に対する戦闘中に第211海兵戦闘航空隊の一員として義務の要求を遙かに超えて彼の生命の危険を冒す際立った勇気と大胆さによる。
12月9日及び12日における敵の爆撃機と軍艦の非常に優勢な部隊と交戦中、そして繰り返し爆撃を実行する22機の敵航空機が飛ぶ中、エルロッド大尉は極端な低高度と近距離から狙いを定めて機銃掃射して駆け抜け二機を撃ち落とし、大型日本船上に致命的な損害を与えることに成功させ、それによって戦闘機タイプの航空機からの小口径爆弾による最初の主要軍艦を撃沈する。
彼の航空機が敵軍の銃撃により、損傷を負うまでエルロッド大尉は想定した命令により、他の船を影響を与えずに敵上陸をものともせずに構築された防衛線の一つの側面へ導き、無防備の弾薬運搬船に対し、激しい敵軍の一斉射撃を潜り抜けて援護射撃を与えることを繰り返すことにより、見事な防衛を行わせ日本軍の攻撃を決然と撃退し、そして彼の人に彼らの拠点を保持することを可能にさせた。
部隊への一人の敵の突進中に自動火器を捕獲し、彼は日本軍に対し、精力的に戦い、そして彼の人の一人に自らの武器を与えた。12月23日の彼の地域の勇ましい抵抗の強さの大きな範囲の責任を持ち、エルロッド大尉は致命傷を負って彼が倒れるまで勇敢で攻撃的に彼の人を導いた。
彼のパイロットとしての素晴らしい技能、ウェーク島の防衛の中、優れた彼の義務への勇敢なリーダーシップと不動の忠誠、そして彼の勇敢な行為は最高の名誉を自らと合衆国海軍職務にもたらす。
彼は彼の祖国へ彼の生命を勇敢に捧げた。
ハリー・S・トルーマン
ハロルド・G・エッパーソン一等兵
1944年:サイパン
第2海兵師団第6海兵師団第1大隊
1924年 | オハイオ州マッシロンにて生まれる |
1944年 | 海兵隊に入隊 |
1944年6月25日 | 戦死 |
1945年12月23日 | 駆逐艦エッパーソン進水 |
感状:
1944年6月25日、マリアナサイパンの島での敵日本軍部隊に対する戦闘において、第2海兵師団第6海兵連隊第1大隊の一員としての義務の要求を遙かに超えて彼の生命の危険を冒す際立った勇気と大胆さによる。
払暁の暗さに紛れた日本軍によって開始された狂信的な攻撃で、彼の機関銃陣地は完全な矢面に立ち、彼の大隊の拠点を守るために猛烈に戦い、そして、敵軍兵士の急速な浸透に対し、壊滅的な射撃の嵐を着実に継続させ、かなりの敵を壊滅させ、幾つかの攻撃を水泡に帰すことを助けた際、突如、死を装った日本軍兵士が、飛び上がり、そして強力な手榴弾を銃座に投げ込んだ。
エッパーソン一等兵は、彼の戦友を救うことを決意し、躊躇することなく自らを擬背にすることを決め、彼自身の身体で爆発による破片を吸収するため、致命的なミサイルへ飛び込んだ。
確実な死に直面して、勇敢そして不屈のエッパーソン一等兵は、恐れずに彼自身の生命を捧げ、冷酷な敵に対する情け容赦のない戦いへ彼の有能な戦友たちを進ませ、そして彼の義務の全てに反映する素晴らしい勇気と断固とした忠誠は最高の名誉を自らと合衆国海軍職務にもたらす。
彼は彼の祖国へ彼の生命を勇敢に捧げた。
ハリー・S・トルーマン
受賞者D-2 |