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PARA-MARINE(海兵隊空挺部隊)

訓練施設


1942年11月のノースカロライナ州ニューリバーにおける降下訓練

 降下訓練プログラムを制作中に海兵隊はニューヨークの遊園地に落下傘塔というアトラクションがあるという情報を入手しました。

※後楽園にある「あれ」です。

 1940年5月20日に、遊び視察に行った中尉から、塔に関する報告書が提出されます。

 中尉の報告書によれば、海兵隊がそれに見合った回収を施した降下塔によって、実際に降下した降下兵が体験するパラシュートの展開の衝撃などを実際に経験できるとされています。

 なお、当時、塔を作成したセーフパラシュート社はニュージャージー州に二つの塔を既に所有していました。

 幸運なことに、塔のあるハイツタウンは海軍と海兵隊のパイロットのためにパラシュートを整備する訓練を行っているレイクハースト海軍航空基地から20マイルの位置にあり、最初に選択される施設に当然のように選ばれました。

※ちなみに陸軍空挺部隊も、同じ塔を使って実験を行っています。

 更にレイクハーストには、一度に最高100人が養成可能でしたが、天候による遅延を考慮して一年で700人程度しか養成できないと見積もられます。1941年中頃、予定が大幅に遅れているために訓練所担当の将校はノースカロライナ州ニューリバーの海兵隊基地に追加の訓練所を設けることを提案しました。

 この間、司令部は訓練を効率よく進めるために天候が安定したサンディエゴで一次訓練を行うことを決定します。1942年4月から、レイクハーストからサンディエゴへ訓練が完了した教官の異動が始まります。新しいサンディエゴ学校は5月27日から運営が開始され、毎週36人の志願兵を訓練するようになります。

 しかし、海兵隊ではサンティ近くで降下塔や滑走路を設け、1942年8月末に全体の組織をそこへ異動させます。

 海兵隊はニューリバーで別の訓練施設を1942年に設置し、6月に第1空挺大隊は教官訓練プログラムを作成するために一人の将校と12名の下士官を異動しました。

 この学校では8月10日に54人の志願者から始められましたが、最初の降下塔が完成せず、訓練完了は遅れます。最終的に10月13日に彼らは卒業します。

 この学校は毎週75名の訓練生を迎えることができました。

 こうして1942年末までに海兵隊のパラシュートプログラムは最盛期を迎え、毎週135名の降下兵が誕生しましたが、実際には決して必要な数は満たしていませんでした。

 これらとは別にガブツそしてガダルカナルで戦い消耗した第1空挺大隊は、その再編成で資格のある降下者を集めるのに苦労しており、このため、この問題を解決するためにウィリアムズ中佐は非公式の学校を組織化しますが、降下塔が無いだけでなく、訓練メニューの大部分を無視したものでした。それでも、短い期間にニューカレドニアにおいて、志願者たちから約100名の隊員が誕生しています。

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