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ケサンの攻防(1967/2/1-1968/4/15)

ケ・サン谷
ケ・サン谷

 1965年にダナンに上陸した第3海兵旅団は、残りの部隊と合流を待ち、第3海兵師団となると第1海兵師団にダナン基地及び周辺地域の警備を任せ、自らは国道9号線に沿って前進。ラオス国境付近まで移動し、1962年に特殊部隊がキャンプを設置していたケ・サンに前線基地を建設しました。

 1967年、かつてのディエンビエンフーの陥落が周辺高地が敵の支配下に置かれたためと判断した海兵隊は周辺高地を確保するため、第3海兵連隊を中心に作戦を実行。

 プレーリーIV作戦を切っ掛けに始まった周辺高地を巡る攻防(Hill's Fight:丘の戦い)で海兵隊は各高地を確保。

 以降、ケ・サン基地周辺の掃討作戦を展開していきます。

 一方で、DMZに最も近い基地であり、ホーチミントレイルを遮断する楔でもあったケ・サン基地は戦略的に対処しなければならない場所でした。

 グエン・ザップ将軍は、ケ・サン基地を、フランスとの戦いを決着づけたディエン・ビエン・フーに準え、「第2のディエン・ビエン・フーにする」と豪語しつつ、一方では後にテト攻勢と言われる大規模攻勢の準備を始めていました。

 1967年末、ウェストモーランド大将はケ・サン基地への攻勢を強める北ベトナム側の攻勢に対抗するための策を講じ始め、ケ・サン基地死守の決意を固めました。

 北ベトナム軍は同時期にトラン・クイ・ハイ少将を指揮官とし、304師団と325C師団を主力とし、第320師団及び324B師団を予備とした部隊を送り、ケ・サン周辺の包囲を開始します。

 包囲の懸念が強まる中、海兵隊は前進防衛地点として丘の戦いで確保した各高地に一個中隊を起き、守りを固めました。

 1968年1月2日、ケ・サンに到着した北ベトナム軍二個師団は包囲を開始。1月20日、初めての大規模攻勢を実行。

 77日間に及ぶケ・サン基地攻防戦の幕開けでした。



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