The Phantom Blooper
1976年、元第1海兵師団戦闘報道員グスタフ・"グース"ハスフォード伍長は、自身が1967年から1968年にかけてベトナムで体験したことを元に、自伝的小説として一冊の本「The Short-Timers(短期除隊兵)」を書き上げました。
しかし、出版社は興味を示さず、何社かをたらい回しにされた後、バンタムブックスから、ようやく出版されました。
売れ行きは芳しくありませんでしたが、1985年になってスタンリー・キューブリック監督が、映画原作として、「The Short-Timers」を選んだことで転機が訪れました。
ハスフォード氏は映画化には乗り気で、戦闘報道員としての戦友であり、戦後も交流が続いていたデイル・A・ダイ大尉(退役)に軍事アドヴァイザーになってくれないかと要請しました。
しかし、キューブリック監督は、既にリー・アーメイ二等軍曹(退役)に軍事アドヴァイザーを依頼していたことと、デイル・ダイ大尉(退役)は既にオリバー・ストーン監督が制作中のベトナム戦争映画「PLATOON」のアドヴァイザーとしての仕事を引き受けていたため、この話は流れてしまいます。
このことや脚本執筆で、度々、キューブリック監督と意見を衝突させ、更にアーメイ二等軍曹(退役)を、軍事アドヴァイザーとしての仕事を果たしていないと不満を持っていました。
※戦闘報道員とはいえ、最前線で戦うRiflemanの一人だったグスタフ・ハスフォードからすれば、後方支援群所属だったリー・アーメイは最前線で戦う兵士たちが軽蔑したPogure Liferの一人でしかない。
共同脚本の執筆も、結局、もう一人、従軍記者としてフエ攻防戦やケ・サン包囲戦を取材したマイケル・ハー氏が参加することで脚本は完成。
1987年、「FULL METAL JACKET」は公開され、ヒットします。しかし、バンタム社は、映画公開に合わせて、原作の改題を提案しましたが、ハスフォードは了承しなかったため、ベストセラーとなる最後の機会は失われました。
それでも、映画公開後、ハスフォードは、続編「Phantom Blooper」の執筆に取り掛かります。1990年、バンタム社から出版された同書ですが、その後、ハスフォード氏との間でトラブルが起こり、更にハスフォードが図書館から借りた蔵書を返却しなかったことで逮捕され、6ヶ月の実刑判決を受けたこともあり、評論家からは好評だったものの増刷されることなく絶版。
その後、ハスフォードはニューヨークを舞台とした刑事物を書き、これも批評は良かったものの、やはり、ベストセラーにはなりませんでした。
後、世界を転々としていたハスフォードは、1993年、ギリシャの小島で倒れ、帰らぬ人となりました。
死因は心不全と診断されました。直前に大量のアルコールを摂取(ワイン数本、ウイスキー数本、ビール大量)していますが。
結局、出版社と揉めたことや、その死によって現在、ハスフォード氏の著作は全て絶版。
日本では、角川文庫から、フルメタルジャケットとして「The Short-Timers」が出版されています。
「Phantom Blooper」
The Short-Timersの続編として執筆された本書は、前作のラストから数ヶ月後、ジョーカーは前回の一件から、二等兵に降格され、そして、ファントム・ブルーパー(幽霊擲弾手)と呼ぶベトコンに協力する元海兵隊員の幻影に取り憑かれています。
幽霊擲弾手は、ケ・サン基地周辺を徘徊して、海兵隊員を殺し、あのアニマルマザーも犠牲者の一人と信じているジョーカーが、後、数日で破棄が完了するケ・サン基地の塹壕から這い出すところから物語は始まります。