君は僕の宝物 2

「よし、じゃあ今日はこれまで。明日は軽いテストをやるから帰ったら復習しておけよ。」

全員の自己紹介が終わったところで初日のホームルームも終了となったのだが、その担任の最後の言葉に、ウキウキとした気持ちになっていた全員がざわめく。
水谷もブーイングを飛ばした一人だ。
なにしろ合格が決まってから勉強らしい勉強はしていないのだ。
これはもう実力でしか勝負出来ないのは必至。
中学の教科書をひっぱり出して公式でも見ておくくらいしか対処の方法はないだろう。
そんな抗議の声は想定内なのか、担任は意にも介さない。
机に突っ伏した水谷は見るともなしに帰り支度を始めるクラスメイトを眺め、そして阿部がすでに準備を終えて席を立ったのに気がついた。
阿部もクラスに仲の良い友達はいないのか、さっさと廊下へと歩いていく。
水谷は大急ぎでカバンに荷物を詰めると阿部の後を追った。

「あの、阿部、くんっ。」
「あ?」

昇降口の手前で阿部に追いついた水谷は追いかけた勢いのまま声をかける。
かけてしまってから、何を言おうとしていたのかを全く思いつかなくて、内心でひどく焦った。
阿部という人間になんとなく興味を持った。
それだけのはずだったのに。
対する阿部は、名前を呼ばれると思っていなかったようで、少し間の抜けた顔で振り向いた。
教室で見せていた生真面目な顔と違い、それはやけに幼げに見えて、言葉を探していた水谷の思考を止めるのに十分な威力を持っていた。

「何か用?」

阿部の声に不審気な響きが混じる。
声をかけておきながら続きを言わない水谷に多少苛ついてもいるようだ。

「あの、俺水谷っていうんだけど。」

同じクラスで、としどろもどろに自己紹介を始める水谷に、阿部は「知ってる」と軽く返してきた。
目線でさっきの顛末を思い返しているのが見て取れて、情けない気持ちになりつつも阿部の認識に入ってたことで結果オーライと思うしかない。
そんな感情の浮き沈みに巻き込まれそうになっていると、阿部が続きを促してきた。

「あ、うん。あの阿部くん野球部に入るって言ってたよね? 俺も入ろうかなって思ってるんだけど、良かったら一緒に行かないかなって。」

ひとまず思いついたことを声にする。
とっさに閃いたとはいえ、どうやら阿部の関心を引くに値するであろう「野球」というキーワードを使ったことに自分で自分を褒めて見る。
にこにこと人好きのする笑みを浮かべながら返事を待つ水谷に、阿部が真剣な眼をして訊ねてきた。

「ポジション、どこ?」
「中学でじゃないんだけど、前はセカンドやってたよ。」
「そう。」

眼を伏せ気味に阿部は頷いた。
その仕草に、水谷は続く質問を口に出せなくなった。
本当ならこのまま、阿部のポジションはどこ、とか、練習キツイかな、とか話題が広がりそうなものなのだが。

(あれ、俺がっかりさせた?)

花井の自己紹介に振り返った時との違いに戸惑う。
何も悪いことは言ってないと思うのだけれど。

「…なら。」
「え?」

またもや意識を飛ばしかけていた水谷は、阿部の言葉を聞き逃してしまった。
眼を瞬いてまっすぐに見つめてくる水谷を静かに見つめながら阿部は繰り返してくれた。

「野球部なら、監督の都合が悪くて今日は休みだって。明日は活動するって言ってたからグラウンドに行ってみれば。」

じゃあ、と別れの言葉を告げて阿部は昇降口へと歩き出した。
あっさりとしたその言動に置いていかれそうになった水谷も慌てて後を追う。
部活のことは明日に回して、とりあえず阿部ともう少し話してみたいなとそんなことを思いながら。



*****



次の日のテストは散々だった、と後日水谷は言った。
昇降口で追いついた阿部はなんだか話しかけづらい雰囲気をまとっていて、タイミングを逃した水谷はそのまま見送るしかなくて。
仕方なく帰宅して、中学の教科書を引っ張り出してはみたものの手につかず上の空だ。
テストに備えて公式の一つでも覚えようとするのだが、これっぽっちも頭に入ってこない。
気が散ってどうにも集中力が長続きしないのだ。
結局名前通りの「実力」テストの一日を終えた水谷は、それでも放課後になると昨日と同じように阿部を追いかけて野球部へと向かう。
理由なんて知らない。
ただ心の欲するまま水谷は追いかける。
それが、始まりの始まり。
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初出

2010.01.03