君は僕の宝物 1

その日は暖かく晴れていて、澄んだ空に桜の花が映えていた。
幸いなことに最近は春の嵐と呼ばれるほどの大雨は降っておらず、きっと関係者はホッと胸を撫で下ろしたことだろう。
やっぱり入学式には桜の花が咲いていたほうが望ましい。
新入生はそれぞれ、これからの高校生活への期待に一杯の表情で入学式に臨んだのだった。



*****



水谷は1年7組の教室の、廊下から2列目の一番後ろの席に座っていた。
入学式が終わって教室に戻ってきたところで、担任から出席番号順に座るようにと言われたのだ。
同中出身の友達とはクラスが違ってしまった水谷にとって、どこに座ることになろうと問題はなかった。
精々が窓際か後ろの方が良いと思うくらいだ。
けれど仲良しの友達で固まっていた女子の中からはブーイングまがいの声もあがり、担任は早々に席替えをする約束をするはめになっていた。

(俺にとってはそんなに悪くないんだけどね。)

さすがに顔は見えないが教室中が一目瞭然だ。
このメンバーで1年間楽しく過ごせればそれでいい。
担任の自己紹介や配布物の説明などを少々気を散らしながら聞いていた水谷は、じゃあ、と響きの変わった言葉に意識を引き戻された。

「順番に、自己紹介してもらおうかな。」

必須事項を羅列した担任は、ほら1番から、と容赦がない。
クラス中が自分の番を思ってざわめく中、静かに椅子を立つ音で水谷はそちらを向いた。

「……中出身、阿部隆也です。」

窓から入る日差しに柔らかく縁取られた輪郭とはうらはらに、目線はまっすぐ前を見ている。
突然の担任の言葉にも慌てることなく、むしろ当然といった感じがうかがえた。

「中学では部活じゃなくて、シニアのチームに入ってました。高校では野球部に入ります。」

続く紹介も事実のみを告げるきっぱりしたもので、その凛とした横顔に水谷は見入ってしまった。
よろしく、と簡単にまとめた阿部が席につくと、対照的なほどガタガタと音を立てて次の生徒が自己紹介に入る。

(ふーん。)

次々と自己紹介が進んで行く中、水谷は阿部から目が放せないでいた。
クラスメイトに大した興味もわかないのか、阿部は相変わらず前を見ている。
友達の数は多い方だと自負している水谷にとって、阿部のようなタイプは初めてだった。
なにがどう、とは言えないけれど、どうにも気になってだんだん近づいてくる自己紹介も上の空だ。
と、阿部がこちらを振り返った。

(やばっ……!)

あまりに視線が煩かったのだろうかと首を竦めたが、しかし阿部は水谷を見てはいなかった。
視線を辿ってみれば一人の生徒が自己紹介を終えて座るところで、一拍置いて阿部も前を向いて座りなおしてしまう。

(誰だっけ。)

聞くとはなしに聞いていたはずの自己紹介を思い起こしてみる。

(名前、は花井……なんていったっけ。中学は聞き逃したなぁ。そんで部活で野球やってて、見学に行こうと思うとかなんとか。)

いたって普通の自己紹介だ。
部活だって、余程のことがない限り見学してから決める者が多いだろう。
じゃあ何が阿部の気を引いたんだろう。

(……野球、かな?)

個人的に先ほどの生徒を知っていたのでなければ、もうあとはそれくらいしか思いつかなかった。
だって阿部の様子が、知り合いがいたという雰囲気ではなかったのだから。
ということはどういうことだろう。
ふと一人、思考の海へ落ちていこうとした水谷に、担任の呼ぶ声が辛うじて届いた。

「……ずたに。水谷、文貴!」
「は、はいっ!」

反射的に立ち上がって返事をする。
ガタン、と反動で椅子が大きな音を立てた。

「初日からボーっとするな、水谷。ほら自己紹介!」

そこかしこからクスクスと笑う声があがり、水谷は頭をかきながら笑顔を作った。
一度クラス中を見回して、最後に視点を固定する。
変わらず前を向いたままの、たった一人に届くように。

「初めまして、水谷文貴です。同中の友達とはクラスが違うのでここで楽しく過ごせる友達を見つけたいです。部活は、一つ気になるところがあるのでたぶんそこに入ると思います。どうぞよろしく!」
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初出

2009.11.23