君は僕の宝物 0

春、4月。
カレンダーを1枚めくって、名実ともに春となったその日。
大きく開けた窓からゆるやかに入ってくる風に髪を遊ばせつつ、水谷はぼんやりと外を眺めていた。
ほんの数日前まで冷たい空気を含んでいたはずなのに、今はもうそんな気配は微塵もない。
太陽の光が、風が、水谷を取り巻く何もかもが、春が来たと告げてくる。
比喩でなく暗い受験期を過ごした水谷にとって、晴れて高校生の肩書を手に入れた今年の春は格別なものとなった。
なにしろ水谷ときたら、好きな教科には教師もびっくりな集中力をみせるくせに、嫌いな教科のダメっぷりが半端ではない。
それは進路指導をした担任教師に「その集中力の3分の1でも向けてくれればなぁ」と言わしめたほどだ。
得意科目だけでみれば合格ラインを超えていても、全科目合計ともなれば不得意科目が足を引っ張るもの。
学区内には他にも水谷のレベルに合う学校はあったし、そもそも私立という選択だってあった。
受験失敗という悲劇を起こさないためにも、担任は幾度となく志望の変更を勧めてきたのだ。
水谷にだって担任の言うことは理解出来たし、指示通りに志望を変えれば受験勉強も少しは楽になるのもわかる。
勿論手を抜くことは出来ないだろうが、気分的なものが絶対的に違うはずなのだ。
それでも水谷は志望を変えなかった。
親と担任を説得し、今までにない集中力を持って受験勉強に取り組んだ。
その結果が現在。
あと数日もすれば入学式。
晴れて西浦高校の一員となるのだ。



*****



「俺だってやる時はやるんだもんね!」

担任に合格の報告をした時に水谷が言った台詞だ。
満面の笑みでVサインとともに言ってやったら、「ハラハラさせやがって」と大きな手で頭を撫でられた。
実際のところその手の力は強すぎて、髪の毛がかなりぐしゃぐしゃになってしまったから水谷としては不満だったのだけど。
でも最後に落ちてきた言葉に、もういいや、という気分になった。

「良かったな。よく頑張ったな、水谷。」



*****



「ホントに頑張ったよね、俺。」

しばらくは勉強したくない気分。
心の底から合格を喜んでくれた担任が聞いたらがっくりと肩を落としそうなことを思って、しかし水谷はまた沸きあがってきた嬉しさに笑みを浮かべた。
合格発表の日から随分経つが、時折思い出しては顔がにやけるのを止められなかった。
最近では姉から「キモイよ、文貴。」とありがたくない言葉を貰うほど。
でもいいじゃないかと思うのだ。
どうせこんなのは入学する前だけのことだ。
入学式が終わってしまえば日常にまぎれてしまうだろう。
部活なんか入ってしまえば生活がそれだけになってしまうのは想像に難くない。

「そっか、部活か。」

運動部の練習はやっぱりキツイだろうか。
文化部でお茶を濁すのもありかもしれない。
いっそのこと帰宅部でアルバイトに精を出すのもいいかも。
一つだけ、水谷には気になる部活があるのだが、確か西浦にはなかったはずで。

「とりあえず入学式が終わってからだよねー。」

気持ちよく日差しを浴びていた水谷は、自分を呼ぶ声に返事をすると、足取りも軽く部屋を出ていった。
誰も居なくなった部屋では風がふわりとカーテンを揺らす。
それはまだ、始まる前の春の一日のこと。
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初出

2009.11.23