君に願いを

阿部がふと気付くと、教科書を借りに行っていたはずの水谷が教室の入り口近くで女子と一緒に喋っていた。
あれでいて水谷は人当たりのいい喋り方と人好きのする笑顔をしているので、そうそう邪険に扱われることもないのだ。
現にクラスメイトの女子達とは一緒になってキャーキャー騒いでいる姿をよく見かける。
自分には到底出来ないことだと思いながら、阿部は手元の雑誌に視線を戻した。



「何読んでんの?」



手元が暗くなるのと声が掛かったのはほとんど同時。
だが、阿部が顔を上げるのより水谷が椅子を引いて座る方が早かった。



「雑誌。こないだ出たやつ。」

「ああ、花井に借りたってやつ?」

「そう。」



頬杖をついた水谷は、ふーん、と気のない返事を返すと手に持った紙片を弄り出した。



「なんだ、それ。」



視界の端にちらちらと動くそれを阿部は横目で見やる。
なんの変哲もないただの白い紙だ。
B5のノートを横に四つに切ったくらいの大きさ。
よく見れば水谷の持つのとは逆の短い辺の近くに、穴が一つ開いている。



「これ?さっきそこで貰ったんだー。」

「女子にか?」

「うん、そう。今日って七夕じゃん?部活で笹飾り作るんだけど時間が足りないから今から準備してるんだって。」

「へえ。」

「でも、俺はこんなのどうでもいいけどね。」



続いて聞こえた呟く声に、阿部は思わず水谷に視線を戻した。
何故ってあまりにも普段の水谷らしからぬ声に聞こえたから。
真剣というのとはまた違う、とても深いところから聞こえた声のような気がしたのだ。



「なん、で。」

「だって一年に一度、それも晴れた日にしか会えないなんて嫌じゃない?俺なら一年中どこでも一緒に居たいとか思っちゃうけどね。」

「おまえ…。」

「それにそんなのに願い事を叶える力があるとも思えないしさあ。苦しいときの神頼みとはよく言うけど、これなら流れ星にお願いの方が叶いそうだよ。」



そして水谷はいつもの、へらりとした笑みを浮かべた。
周りにそれなりの好印象を与える、しかし阿部にとっては要注意の。



「でも俺の願い事は神様じゃなくても叶えられるんだ。」



知ってた?とさらに言葉を続ける水谷から逃げるように手元の雑誌に目を向ける。
そして、知らねーよ、とあっさりした言葉で切り捨て、記事の続きに集中する振りをした。
どれだけ誤魔化せたのかはわからない。
だって全然文字なんて頭に入ってこない。
こんなに全身で水谷の次の言葉を気にしている。
けれども実際、どんなことを言われるかなんてだいたいのところは分かってしまっているのだ。
期待しているわけじゃない。
むしろ予想通りのことを言われたらどうしたらいいかわからなくなる。



「おい、みずた…。」

「ねえ、阿部。」



話の流れを変えるべくかけた言葉は、同時に水谷からも呼びかけられて最後まで言えなかった。
そのまま水谷は、素早く阿部の耳元に口を寄せるとこう、囁いた。



「俺の願い事、聞いてくれる?」
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初出

2007.07.22