ずっと、ずっと。
「じゃあまた明日なー。」
「うん、また、明日。」
「寝坊すんなよー。」
家の前で皆を見送った三橋は、全員が先の角を曲がって見えなくなるまで手を降り続けていた。
だが、皆の姿が見えなくなっても、そのまま家に入る気にはなれなかった。
一緒に見送りに出た母親が先に入ってしまっても、それでも三橋はそこを動けずにいる。
玄関先に立ったまま、今日一日を思い返していた。
今日は5月17日。
三橋の誕生日である。
朝から練習試合が二つ。
監督の考えで、最近は休みの日には必ず練習試合が組まれていた。
毎日の練習では個別練習や連携プレーを確認し、練習試合で実践する。
夏大まで時間のない今、1年生ばかりの西浦野球部にとって、練習試合を数多くこなすことはそれだけでいい経験になる。
いつも通り二試合目はベンチだったけれど、今日も全勝出来た。
けれど喜んだのもつかの間、監督からは試験に向けた勉強を言い渡されてしまった。
赤点取ったら試合に出さないなんて言われても、自分一人でなんて全く自信がない。
さすがに不安になったけれど、でも受験も乗り切ったんだしやるしかないと一人思う。
それなのに。
いつのまにか皆で勉強することになっていた。
集まって勉強会なんて耳にはしたことがあるけれど、そこに自分がいられるなんて思ってもみなかった。
だから、どんどん話が進んでいくのに口を挟むのは勇気がいったけれど、場所が見つからないでいたからうちに来てもらった。
チームメイトを家に呼ぶなんて初めてのことだ。
勿論誕生日だからという考えはあったけど、だからって祝ってもらおうなんて思ってなかった。
そんな虫のいい話あるわけがない。
ただ、皆がうちに来てくれるだけで良かったんだ。
だけど………。
あんなの、初めてだった。
皆に祝ってもらって。
自分の言った言葉にのってくれて、4月生まれの二人のお祝いもしてくれた。
自分の投球を凄いって言ってくれて、甲子園に行こうって、約束、した。
勉強がわかんなくて、何度も同じとこ聞いても繰り返し教えてくれた。
こんなの初めてだ。
いいのかな、こんなに幸せで。
高校最初の誕生日だから、神様もお祝いしてくれたのかな。
三橋は、星の光る夜空を見上げた。
ここは住宅街ではあるけれど、思ったより多くの星が輝いている。
どんな星座が見えているのかは三橋にはよくわからないけれど、星空を見上げていると、なんだか心の中まですっきりとしてくるようだった。
そういえば、星を見たのなんていつぶりだろう。
ずっと下ばかり見ていたような気がする…。
そう、三橋が思ったときだった。
「おい、なにやってんだ。」
「あ、阿部、く…。」
「こんなに冷えてるじゃねえか。」
さっき皆と一緒に帰っていったはずの阿部が戻ってきていた。
ずっと走ってきたのだろうか、少し息があがっている。
だがその呼吸の乱れも物ともせず、三橋の腕を掴むと眉を寄せた。
「いくら5月だといっても夜外に長時間いたら冷えるんだぞ。」
「ご、ごめんなさ、い。」
条件反射で謝ってから、おずおずと三橋は阿部にたずねる。
「あ、阿部くん、は。」
「なに?」
「どうして、ここ、へ?」
「あー。ちょっと、忘れ物っていうか…。」
「わ、忘れ物…。」
阿部はあらぬ方向へ視線をそらし、いつになくはっきりと答えない。
しかし三橋はそんな阿部の態度も不思議に思わず、そのまま身をひるがえして家の中へ探しにいこうとする。
「家の中、探す…。」
「いいんだ、中にはないから。」
「じゃ、庭?」
「でもなくて。」
首だけそちらに向けてたずねる三橋には、他にもう思い当たる場所などなかった。
いくら広めの家だといってもあくまでも一般住宅。
広大な敷地があったりするわけではないのだ。
頭からたくさんの『?』を出して悩む三橋を見つつ、阿部は今更ながらため息が出そうになる。
「三橋。」
阿部は両手で三橋の両手を握り直すと、静かに声をかける。
いつもと違う阿部の声に、三橋が恐る恐るこちらを向く。
「誕生日、おめでとう。」
ようやく視線があったところをつかまえて、囁くように言った。
みるみるうちに三橋の目が大きく見開かれる。
「さっき、言い忘れてたからな。」
「え、でも…。」
「さっきのはチームメイトとして。今のは、俺からの。」
「阿部く…。」
「電話でもいいかとも思ったんだけどな。やっぱ面と向かっての方がいいだろ、こういうのは。っておいっ!?」
三橋の目から大粒の涙が零れ落ちていった。
「こういうの、初めてで。皆に祝ってもらったのも。だから…。」
「来年も、再来年も祝ってやる。ずっと、ずーっと、な。だからもう、泣くな。」
「…うん。」
初出
2006.05.27