喧嘩するほど…?

栄口が部室のドアを開けようとした瞬間、中からドアが開けられ人が飛び出してきた。
危うくぶつかりそうになるのを慌てて避ける。
いったい誰が、と飛び出してきた人物を見ると、肩を怒らせ遠ざかっていく阿部であった。



「ちょっと待って。阿部!」



栄口の声も聞こえないのか、単に無視しているのか。
阿部は振り返ろうともせず歩き去っていく。
阿部に用事のあった栄口は急いで追いかけようとして、けれどそこで立ち止まってしまった。
部室の中から、現在怒りモード突入中の捕手の、大事な大事な投手の泣き声が聞こえてきたのだ。
怒りっぽい性質から最初のうちはかなり恐れられていたけれど、最近は甘やかして甘やかして過保護と言ってもいいくらいの阿部が。
三橋を泣かせたままで放っておくなどあっていいわけがない。
立ち止まったまま阿部を見送ってしまった栄口は、自分の用事を諦め静かに部室に入っていった。




















部室に入った栄口はグルリと室内を見渡す。
大して広くもない部屋だ。
10人で一斉に着替え始めると隣と腕がぶつかってしまったりする。
勿論ロッカーの他に机やいくつかの椅子なども置いてあるのでさらに狭く感じられる。
だがすぐに見つかると思っていた三橋の姿が見えない。
栄口はもう一度ゆっくりと見回した。
ふと、すすり泣きがやけに低い位置から聞こえていることに気付く。
注意深く探してみると、一番奥のロッカーの陰の部分。
そこの床に座り込んで膝を抱えている三橋を見つけた。



「三橋、どうしたの?」



驚かさないようにと極力優しい声を出したつもりだった。
けれど、三橋は肩を大きくふるわせるだけだ。
三橋からのリアクションが返ってこないことにもめげず、さらに栄口は問いかけを続ける。
詳細を聞かなければ始まらないのだ。
阿部を追いかけて聞いてみてもいいのだが、栄口だって怒っている阿部は怖い。
他のメンバーよりは付き合いの長い分、免疫が出来ている(と思っている)だけだ。
やはり怖いものは怖い。
それに。
泣いている仲間を放っておくというのは、栄口にはできない相談なのだ。
他のメンバーならいざ知らず、三橋だというならなおさらだった。



「三橋?」

「さ、さかえ、ぐちくん…っ。」



ようやく少し顔を上げた三橋が言葉を返す。
とめどなく流れる涙で顔はぐしょぐしょだった。
栄口は三橋の傍まで歩いていくと、同じようにしゃがみこむ。


「なんかあった?阿部と、喧嘩でもした?」



途端に三橋の目からドッと涙が溢れ出した。
珍しくも分かりやすい三橋の反応に、逆に栄口の方が慌ててしまう。



「さ、さか…ちく…っ。ど、どうし、よっ。俺、阿部、くん、怒らせちゃっ…。」

「なんで?」

「阿部、く…、俺、今日、肩使いすぎ…っら、もう投げ…って。でも…れ、投げた…っ。あ…べく…、『捕らな…』って、出て…っちゃっ…。」



しゃくりあげながら三橋が説明する。
ところどころ聞き取りにくい部分はあったが大まかなところは栄口にも察せられた。
要はいつもの捕手の過保護と投手の執着心のぶつかり合いというわけだ。
安心と呆れの混じったため息を吐きそうになるのを懸命にこらえる。



「あ、べ…くんっ、も、捕ってくんな…のか、なぁ…っ?」



どうやら今の三橋の心の中は、怒った阿部が二度と三橋の投げる球を捕ってくれないのではないかという心配で一杯のようだった。
今日の球数はもうどうでもいいらしい。
それはもう潔いほど。

(愛されてるじゃん、阿部。)



「大丈夫だよ、三橋。阿部に 『今日は投げないから明日また捕って』 って言えばすぐに頷いてくれるよ。」

「ほ、ほん…と?」

「うん。ホント、ホント。阿部は校舎の方に行ったから、追いかけてみたら?」

「う、ん。行ってみる…っ。」



そういうと三橋はグイッと手の甲で涙を拭うとよろけつつも立ち上がった。
つられて栄口も立ち上がる。



「じゃ、じゃあ、ね。栄口くん、ありがと。」



まだ涙の残る目元で微笑むと三橋は部室を出て行った。
ドアの閉まる瞬間まで手を振って見送った栄口は、一人きりになった部室でため息をこぼした。



「あーあ、これで阿部の手は借りれないことが決定、っと。しょうがない、花井のとこ戻るか。」



栄口の手には、シガポから渡された、練習試合の相手校の分厚い検討資料が握られていた。
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初出

2005.10.18