繋がる想い
「ってわけなんで、悪いけど三橋、頼んじゃっていいかなぁ?」
「うん。いい、よっ。」
「ごめんな、三橋。ありがとなー。」
「ううん、また明日、ね。」
三橋がそういうと、「明日なー。」と声が返り、プツっと電話は切れた。
水谷はどうやら、もの凄く急いでいたらしい。
通話を終了させ、携帯電話のメモリから阿部の番号を探し出すと、深呼吸を一つ。
「よし。」
発信ボタンを押す指が微かに震える。
誰かに電話をかけるなど滅多にしたことがない。
中学時代は連絡網から外されることのほうが多かったし、そういう時は叶が教えてくれたから他の誰かに回す必要なんてなかった。
西浦では外されることは決してないが、単に一番最後に回ってくるため誰にもかけなくていいことになっている。
時々、今日みたいに水谷が阿部にかけられなくて(阿部がつかまらなかったりだとか、学校でやりあった直後だったりとかで)、頼まれることがあるくらいだ。
相手は阿部だし、携帯電話にかけるのだから別に緊張することもないのだが。
すでに何度かかけている番号なのにやっぱり早鐘を打ち出す心臓を手で押さえ、呼び出し音が鳴るのを待つ。
「?」
いつまでも鳴らない呼び出し音に焦れる間もなく、無機質な声が聞こえた。
「お客様のお掛けになった電話番号は…。」
知らず止めていた息を吐きながら終了ボタンを押す。
水谷の言うとおり、阿部の携帯には繋がらないようだ。
たまたま圏外にいるのか、充電が切れているのか。
まさか電源を入れていないとは思えないが、どちらにしろ繋がらないことには変わりない。
(どうしよう…。)
手に持ったままの携帯を見れば、まだ6時を過ぎたばかり。
そろそろ夕食時ではあるが、高校生が出歩くのに遅いという時間でもない。
(もう少したってからもう一回電話してみよう。それでもダメだったら、お家に電話、してみよう。)
三橋の携帯は実は2台目だ。
すでに中学時代から持っていたのは家が裕福だからというわけではなく、離れて暮らすことに母が心配したからだ。
いつでも連絡が取れるように、と。
だからメモリの1番目は自宅で2番目は母の携帯だった。
その後親戚の家の番号と叶の家の番号が増えたが、それ以上増えることはなかった。
中学に入りたてでは自分の携帯を持っている者など殆どいなかったし、学年が上がって持つ者が増えても、今度は三橋と番号を交換しようとする者がいなかった。
結局、中学時代は母からの電話を受け、時々家にかけるくらいにしか使われなかったのだ。
自室のベッドに寝転がりながら、三橋は携帯の電話帳を開いてみる。
この春に新しくしてもらった携帯電話は最新型で、いろいろ複雑な機能がたくさんついている。
全部の機能を使いこなせるとは到底思えない三橋だった。
(電話帳、増えた…!)
初代の携帯から引き継いだメモリのほかに、西浦野球部のメンバーを筆頭に、モモカン、シガポ、クラスメイト、と何倍にも膨れ上がっている。
なんとなく嬉しくなりながら携帯に見入っていた三橋は、大事なことを思い出した。
(いけない、阿部くんに電話しなきゃ!)
ガバリと音がしそうな勢いで跳ね起きると居住まいを正す。
もう一度阿部の携帯番号を呼び出して発信ボタンを押した。
こんどこそ阿部が出るか、それともまた無機質なアナウンスが流れるか。
さっきよりは落ち着いて呼び出し音を待つ。
「お客様のお掛けになった電話番号は…。」
果たして聞こえてきたのは先程と同じアナウンス。
時計を見るとそろそろ7時になろうかという時刻。
待っていれば阿部の携帯に繋がるというなら待ってみてもいい。
けれど、結局家にかけることになるのならあまり遅くならないほうがいいだろう。
何しろ、家にかけるのは初めてなのだから。
もう一度阿部の番号を、今度は自宅のほうを呼び出す。
さすがに深呼吸も一度では足りず、二度三度と繰り返した。
(誰が出るかな。阿部くんだといいな。とりあえず名前を言って、野球部の連絡だって言って、それから…。)
発信ボタンを押すとたいして待たずに鳴り出した呼び出し音を聞きながら思う。
(お父さんはまだ帰ってないよね。お母さんかな。阿部くん家って何人家族なんだっけ? あ、もし阿部くんが帰ってなかったら…。)
「はい、阿部です。」
(阿部、くん、だっ。)
「もしもし?」
「あっ、阿部くんっ。オレ、三橋、です。あの、野球部の連絡で…。」
「…。」
「あ、べくん?」
「えっと、ちょっと待ってください。」
「あ、うん?」
不思議に思う三橋には何の説明もなく、受話器の向こうの相手は離れていったようだ。
だが、保留音が流れるわけでもなく、向こうの気配が微かに伝わってくる。
そして聞こえてきたのは。
「兄ちゃん、電話ー。」
(兄ちゃん…?)
あれ?と三橋は思った。
確か阿部には弟がいると聞いたことがあった。
一人っ子の自分には、兄弟がいるということが羨ましく思えたのでよく覚えている。
けれど、兄もいたのだろうか。
あれ?と首を捻る三橋の耳に、今度こそ阿部の声が聞こえてきた。
「三橋?」
「阿部くんっ!?」
「ああ。どうした。珍しいな、家にかけてくるなんて。」
「あ、ごめんっ。携帯にかけたんだけど、繋がらなくて、それで。」
「謝んなくていいよ。オレも今帰ってきたとこなんだけど、途中で携帯の充電切れちゃったんだよ。悪かったな、手間かけさせて。」
ああ、阿部だ。
これはいつも三橋のことを気にかけてくれる、阿部の声だ。
だとしたら、さっきのは。
「ね、阿部くん。さっきのって。」
「ああ、弟だよ。」
「声、似てる、ね。」
「そうかぁ?まぁ声変わりも始まったようだけど、まだまだガキだぜ?」
「ううん、似てる、よ。」
(優しいところがそっくり。)
電話だと声が違って聞こえるからなー、といささか不満げに呟く阿部の声を聞きながら思う。
ちょっとぶっきらぼうに響くけれど、なんだか優しくて温かいものに包まれている気分になるのだ。
(初めてだったから間違えちゃったけど、次からは大丈夫。)
「ところでさ、何か用があったんじゃねぇの?」
阿部に問われ、今更のように思い出す。
「あ、そうだっ。あのね、野球部の連絡なんだ。明日の練習は、監督の都合で午後からになったって。」
「あ、そうなんだ。サンキュ。」
礼を言われ、三橋の顔から笑みがこぼれた。
顔が見えないのに電話越しに気配が伝わったのだろうか。
こころなしか阿部の雰囲気も柔らかくなったようだ。
「でも、水谷はどうしたんだよ。あいつから回ってくるはずだろ?」
「水谷くんも、阿部くんにかけたんだけど、繋がらなかったって言ってた。今日は、家族でご飯を食べに行くから、時間がないんだって。」
「ふーん。」
「あの、阿部、くん?」
「別に怒ってやしねぇよ。それよりさ。グラウンドは空いてるんだし、少し早く行って投げるか、明日。」
「いいの?」
「ああ、元々一日練習の予定だったし、午後だけなら球数も…。」
「じゃ、なくて。阿部くん、捕ってくれるの?」
「当たり前だろ。じゃあ11時くらいに部室で。昼飯もちゃんと持ってこいよ。」
「うんっ。」
別れを言って電話を切った後も、しばらく三橋は携帯を見つめていた。
その顔には笑みが浮かんだままだ。
「廉ー。ご飯出来たよー。」
「い、今行くー。」
もう一度手の中の携帯を見てから、そっと枕元に置いた。
大切な大切な宝物のように。
初出
2005.07.18