あの頃の僕らは

「おい。」



三橋が畠に声をかけられたのは、ある放課後のことだった。
その日は試験前で部活は無い。
最後の追い込みをかけるためさっさと帰宅していくクラスメイトの傍ら、黙々と荷物を片付けて廊下に出た三橋に畠のほうから声をかけてきたのだ。

三橋が投手で、畠が捕手。

バッテリーと言われる二人のポジションからみれば一緒にいるのは当たり前に思える。
だが、部活中でもなく、全く必要性のないこんなときに畠から三橋に声をかけるなど、最近ではありえなかったことだ。
事あるごとに三橋をダメな投手だと詰り、控えの叶を誉める畠からの呼びかけに、驚いた三橋は声も出ない。



「おい、三橋。聞いてんのか。」



さらに語気を強める畠に対し、カバンを抱え、三橋は震えながら返事をした。



「な、な、なに、は、は、はた、け、くん。」

「ちょっと話がある。ついてこい。」

「え。」



畠は、そういうと三橋の返事も待たず、さっさと歩き出す。
三橋はといえば、拒否も制止の言葉も発することが出来ないまましばらく立ち尽くしていたが、先のほうで振り返った畠の顔つきが険しいのを見て取ると、仕方なしに歩き出した。





* * * * *





畠に連れられて三橋がやってきたのは、とても馴染み深い場所だった。
部室棟の裏の林の中。
校内で泣きたくなったときにはよくここに来ていた。
ここまで来るのは部室を使う運動部員だけだったし、その彼らもわざわざ薄暗い林の中などに入ってくる物好きはいない。



「三橋。」



突然立ち止まり名前を呼ぶ畠に、三橋はビクリと身体を震わせる。
だが、返事のない三橋を意に介すことなく畠は言葉を続けた。



「三橋。俺がなんでこんなところにお前を連れてきたか分かるか。」



振り返り、ギラリと光る眼差しで睨まれて、三橋には声を出すことが出来なかった。
辛うじて首を横に振ることで返事に代える。



「わからねえのか。お前よくそれでピッチャーなんかやってられるな。相棒であるキャッチャーの気持ちもわからないで、チームを勝利に導く投球なんかできるわけねえだろ。俺は何度も言ったよな。お前の球じゃ勝てないんだ。さっさとマウンドを降りて、叶にエースの座を渡せよ!」



怒涛のように吐き出された言葉の数々に、三橋の理解は追いつかない。
普段から今ひとつ回転数のよろしくない頭であるうえに、怯えまくっている現在の状況。
なおさら、反応は鈍くなるだけだ。
三橋が理解できたのは一つだけ。



『マウンドを降りろ』



だが、それだけはどうしても嫌だった。
たとえ祖父の名前による贔屓で与えられたポジションだとしても、マウンドを降りることだけは嫌だった。



だって、投げたいんだ。



どんなに遅い球しか投げられなくても。
試合に勝つことが出来なくても。
その所為でチームメイトから恨まれても。
それでも三橋は投げたかった。
投げることを止めるなんて考えられなかった。



目の前でカバンを抱え込み、俯き、声も出さずにただ首を横に振る三橋を見ていた畠は、苛立ちを抑えるように一つ息をつくと口を開いた。



「頑固だな、お前。いいか、俺は何度もマウンドを降りろと言ったんだ。ちゃんと忠告してやったんだからな。本当はこんなことしないでおきたかったんだが、しょうがない。お前が自分から止めないのが悪いんだからな。恨むなら自分を恨めよ。」



えっ、と顔を上げた三橋を、畠は乱暴に突き倒した。
うつぶせに倒れながらとっさに腕をかばって受身を取りそこねた三橋の身体を跨ぐように押さえ、投手の命である右腕をひねり上げる。
ギリギリとありえない方向へ引っ張られる痛みに三橋の泣き声が林の中に響いた。



「いっ、痛いっ!」

「騒ぐんじゃねえよ。人が来るだろ。」



「なにやってんだ。」



ガサリと茂みをかきわけて現れたのはチームメイトの叶だった。
いや、チームメイトと呼ぶのはおこがましいだろうか。
叶の顔を視界におさめると、三橋はとっさに上げた顔をすぐに背けた。
反対に動揺しつつも声を出したのは畠だった。



「叶。」

「なにやってんだよ、畠。」



叶の視線は畠に向かっていた。
声にも責める様子が伺える。
視線をそらしていなければ三橋にも見えたであろうその顔は、ひどく怒りに歪んでいた。



「何ってさ。こいつがあんまり聞き分けないから。」

「だから腕を折ろうって?」

「や、まさか本気で折るつもりだなんて思ってないよな?ただどれだけ俺たちが叶に投げてもらいたいと思っているか分からせてやろうとしただけだよ。」

「俺は怪我をした三橋の代わりにマウンドに立つことになるのか?。」

「え、いや、だからさ。」

「俺がそんなこと望んでると思ってるのかっ!?」

「そういうわけじゃないけどよ。遅い球しか投げられないくせに、何時までもマウンドにしがみついてるこいつにちょっとばかし理解を求めてだな。ほらもう行こうぜ。」



叶の怒気に怯えたふうに、畠は三橋を押さえていた腕を放す。
解放された三橋は、そのまま腕を抱え込んで蹲った。
と、そこへ押し殺した畠の声がかかる。



「いいか、今日はこれで許してやるが、このままエースでいるつもりならこっちもそれなりに対処するからな。」

「畠!」



駄目押しのように吐き捨てると、畠の言葉に過剰に反応した叶をなだめつつ林から出て行く。
三橋は蹲ったまま、日が落ちて暗くなるまでそこから動けなかった。
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初出

2005.06.04