甘く溶ける掌の熱

ベースボールマガジンの端から、ちらちらと視界に入るひよこ頭。
こちらを伺うようにぴょこぴょこと動く背中。
出てきては隠れて、また出てきて、気付かないものかと思っているだろうけれどおどおどした様子。

(もうちょっと読んだら……)

せっかくの特集ページ。読んでおかないと後悔する。けれど買って帰るほどの余裕はない。もう少しとページを捲ったら、ありがとございましたーと妙に間延びした女の店員の声が響いた。

「……んにゃろッ」

もう少しぐらい待ってろよ。もうかれこれ30分はうろうろしてんだから。
俺は雑誌の束の上に手にしていたマガジンを落とした。また店員の間延びした声。それに背中を押されるようにして、小雨の降る通りに出た。周囲を見回して、逃げるように背中を丸めている後ろ姿を見つける。
慌ててそれを追いかけて、シャツ越しの肩を掴んだ。
びくり、と縮まった小さな肩、怖々と振り返る、ひよこみたいな頭。

「ご、ごめんなさッ!」
「だから!」

思わず語気を強めてしまったことを後悔しながら、ゆっくりと手を放す。
小雨の降る中、傘も差さずに震えながら立ち竦む、その目をゆっくりと見据えた。目は合わない。いつものことだけれど、小さな落胆が胸に落ちた。

「なんで謝んだよ。気付いたんなら声ぐらいかけろよ」

自分を棚に上げて。思わず苦笑いを浮かべると、ようやく安堵したのか、三橋は無理矢理に笑おうと顔を歪めた。
三橋。声に出して呼ぶと、ひよこみたいな頭が揺れる。

「どっか行くのか?」

練習試合を終えた午後。久しぶりの休息に、雨の中を彷徨いていたのか。くたびれた色のジーンズ、色の薄いシャツからはようやく目に見えて筋肉のつき始めた腕が伸びている。
三橋は落ち着かない視線を巡らせて、微かに頷いた。

「どこ?」
「あ……あっ…ち」
「だから、どこ?」

微かな雨のせいで上気した頬が揺れた。耳まで赤く染まった三橋は、大袈裟な手振りで前方を示す。
その先にあるのは。

「…………アイス?」

こくり、と音がしそうなほど大きく頷いてから、三橋はようやく安堵したように笑った。
曇り空に日差しが差し込むような。
柔らかく崩れるその表情に、知らずにこちらが笑ってしまう。食い物のこととなると、三橋は驚くほど素直に感情を表す。全くガキみたいなやつ。
力なく垂れていた腕を掴んで、俺は歩き出す。

「あ、べ、くんッ」
「俺も行く」
「……あ、う……」

二の句が告げないように無理矢理引っ張って、俺は歩き出す。
小雨の降る通り道。
人通りの少ない商店街。
掴んだ腕は熱くて、掌まで熱くなる。滲んで溶ける体温は、雨すらも上気させるほど。温い風と跳ね返る水溜まり。滲んだ視界はきっと気のせい。
後ろに付いてくる短い歩幅。

いつまでもこうして。
手を引いて歩いていられたなら。
きっとお前は駄目になってしまうけれど。

(もっともっと駄目になればいい……俺以外に頼れないくらい)

恐ろしいほどの独占欲。分かっている。それは無理な話だ。三橋は一人で歩けるだけの実力がある。俺じゃなくても、三橋を導いていける。そしていつか、捕手に首を振ることだって覚えるだろう。
この手を離れて。
曇り空すら割って。
飛び立てるだけの羽根がある。

(でも、俺は……?)

まだ捕らわれている。まだ囚われたまま。考えれば考えるほど泥沼に嵌っていくのが手に取るように分かるんだ。
いつまでも過去を引きずって、そのまま進むしかない。

「あ」

三橋が短く声を上げた。
顔を上げて先を見れば、パーカーのポケットに手を突っ込んだまま、ぼんやりと歩いてくる水谷の姿。珍しいところで会う。

「水谷!」

大きな声をあげると、水谷は気付いたように手を振ってきた。走り寄ったりはしない、のんびりと歩いたまま、近い距離まできて立ち止まる。水谷はウォークマンのイヤホンを抜き取って掴んだまま、力なく笑った。

「なに? デートでもしてんの?」

悪意のない揶揄に、我知らず苦笑を浮かべる。背後で慌てふためく三橋の腕を更に強く掴んで、俺は雨で湿気った髪を掻く。

「そんな感じ」
「へー、で、どこに行くの?」
「アイス食いに」

水谷はとうとう声を上げて笑い出す。
どうせ三橋の好みだろうと知れたからだ。俺はつられて苦笑い。三橋だけが戸惑ったまま俺の腕を引っ張る。
雨はすっかり上がっていて、隙間から晴れ間が覗く。眩しそうに目を細めたら、水谷も頭上を見上げる。明日は晴れか、どちらからともなく言い出してから、俺はちらりと三橋を振り返った。
ひよこ頭はすっかり萎縮してしまって、雨に降られて萎びたよう。
水谷もつられて三橋を覗き込み、人懐っこそうに笑った。三橋はぎこちなく表情を崩す。チームメイトにも慣れた頃だけれど、三橋は未だに自分の居場所を探すように視線を泳がせる。水谷が肩を竦めた。

「んじゃ、邪魔しちゃわりーから」

ひらひらと軽く揺れる掌。俺もそれに返す。三橋は大きく頷くばかり。
ウォークマンを付け直して、水谷は聞き慣れたリズムの中に身を落として通り過ぎた。翻るパーカーと雨の匂い。
俺は視線を伏せて深呼吸をした。そして、やっと三橋の腕を放す。
離れた掌、温もりを失って、急激に冷めていく心。

「三橋さ」

振り返って見据えても一向に合わない視線。
俺は溜息を交えながら、構わず続ける。

「俺ら、チームメイトだろ?」

こくこくと頷く仕草が、どうしてか悲しいぐらいに目に映る。

「仲間だよな。だったら、なんで目も合わせてくんねーの?」
「だ、て」
「だって、なに?」

挙動不審な両手を掴んで、俺は三橋の視界に押し入る。不安に満ちた大きな目が滲み出す。泣かしたいワケじゃない。それでも、俺は三橋の目に浮かぶ涙を見つめる。
いつまでも頼りなくいて欲しい。
いつかは一人で歩くことを覚えて欲しい。
どっちが望み?
俺は。
お前は。

「お、れは」
「うん」

じわじわと滲み出した視界の中で、世界はどんな風に映っている?
それを見ることが出来ない自分が、酷く悲しい。

だから、さあ。答えを。

「ここに、い、て……いい、の?」

そうだ、頼りないままでいろ。
いつまでも不安がっていろ。
俺の答えを求めていろ。

けれど、それが三橋を潰すことになると知っている。
さあ、今度は俺の番。どうする?

「三橋はさ」
「……う」
「俺らの仲間、だよ」
「ん……」

どうする。離れられないようにするためには。
どうしたい。一人で歩かせるためには。

「俺は、お前が好きだよ」

いっそボロボロになるまで傷つけて、俺を刻み込んで、忘れられないくらいに痛めつけてしまえばいいのに。

雨上がりの通りを、俺は三橋の腕を掴んでもう一度歩く。
背中には軽い足取り。
空模様とは裏腹に、俺の心は深く深く沈んだまま、歩き出すことも苦しくて堪らない。どうしたいのか分からない。手放したいのか、捕らえたいのか。分からないまま、三橋の鼻歌を背中で聞いて歩き続けている。

今が幸せだと、それだけを感じていればどんなにか楽だろう。それが出来ない俺はただ、目を閉じて、いつまでも続く三橋の鼻歌を聴いていた。
甘く冷たいアイスが、この関係に答えをくれればいいのに。
とろりと溶けて、舌を解かして、優しい言葉をあげられればいいのに。

「好きだよ」

聞こえないように呟いてから、俺は三橋の鼻歌に合わせて、少しだけ歩調を軽くしてみた。そうすれば、きっと、心も浮かんでくるはずだから。
掴んだ腕は、いつの間にか三橋の掌と絡み合って。
この瞬間を伝えようと、いつまでも強く握りしめていた。
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2005.06.30
もう閉鎖された花さまのサイトで6969を踏んで書いて頂いたもの。
お題は、アベミハorミハベ/校外デート/西浦メンバーが(誰でも可)出てくるとなお良し
我が儘リクを快くきいて頂きありがとうございましたvv

なお、転載許可は頂いていますが、ここからの持ち帰りは「ダメ!絶対!!」です。